ABOUT US 教会について
ABOUT US 教会について
神の栄光を北に現す教会として
1953年、 OMF(国際福音宣教会) の宣教師による英語のバイブルクラスから始まり、1955年9月に誕生、“神の栄光を北にあらわす”ことを願って「北栄キリスト教会」と名づけられたプロテスタントの教会です。 以来、聖書に基づいたメッセージを中心として神を礼拝し、イエス=キリストの福音(ふくいん~良き知らせ、Good Newsの意味)を宣べ伝え続けています。現在は、北区新琴似の地で、毎週日曜日、神を賛美し礼拝しています。
※当教会は、エホバの証人(ものみの塔)、モルモン教(末日聖徒キリスト教会)、統一教会ではありません。
これらの教えでお悩みの方はご相談ください。

牧師:松元 潤
私は,穏やかな気候の神奈川県で生まれ、牧師家庭で育ちましたが、社会人であった25歳の時に、人間関係のトラブルを機に信仰に導かれました。
小さい時には、夜空を見上げては、自分の小ささを思い、近くの海辺に立てば人生の大海原を導くものは何かとボンヤリと考えていましたが、それが深刻に自分を悩ませる問題ではありませんした。しかし、社会人になって、自分の力で解決できない問題にぶつかった時、事に動かされない人生の基準の大切さを痛感したのです。
教会の案内掲示板にキリストのことばで「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」ということばが記されています。この「疲れた人」とは様々な基準に翻弄されて、何が本当なのかが分からなくなってしまっている人です。
数年前の新聞に、あるお母さんの投書が掲載されていました。
「私には9つ離れた、2人の息子がいます。長男が生まれた時、どのように子どもを育てたらいいのか分からず、街の本屋で手に入れた育児書に従って育てました。その育児書によると、当時、流行であったアメリカ方式で、子どもは別室で寝かせ、ミルクは、欲しがっても欲しがらなくても時間になったら飲ませること。またオムツも時間で交換すること・・・。長男は、大きくなっても私とコミュニケーションが取れませんでした。9年後に次男が生まれた時も、育児書を買い求めました。ところが、その本には、長男の時とは正反対に、欲しがったらミルクをやればいい、添い寝もいつまででもいいと書かれていました。その著者の名を見たら、日本では有名な人で、9年前に購入した育児書の著者と同じ人でした」。
人を育てる基準や倫理基準が時代と共に変わっていくとしたなら、多くの人々が迷い、悩むのは当然です。
多様な基準や価値観が混在する現代社会で、私達は何が本物かを判断できず「疲れて」います。そしてその迷いのまま、負い切れない「重荷」に直面しています。
そのような今を生きる私達に、キリストは「わたしのところに来なさい。わたしが休ませてあげます」と招いておられるのです。
状況や出来事に動かされない、あなたの人生の基準を見つけませんか。それは、何千年という時を経てもなお人の心に新しく響く聖書の中にあります。
日曜日は午前に礼拝をささげる中で聖書のことばに聞き、夜には若い人々が牧師館に集まり、夕食を共にし、お互いの心の内を自由に語り合います。時には無邪気に冗談を言い合って、ただ疲れた身体を休ませる、そんなこともあります。
あなたが、あなたのままで居られる場所、そしてあなた自身について考える場所を提供します。いつでも自由に教会へおいで下さい。

協力宣教師:ミリアム・デービス(英国出身)
「日本に行きませんか?」...突然面接官に言われ、私はびっくりしました。
私は外国人に英語を教えたいと思い、英国とヨーロッパのいろいろな国で職を探していたのですが、資格も経験もない私はすべてだめでした。落ち込みましたけれど、クリスチャンの私は、神様が自分の将来のためによい計画を立ててくださっていることを信じて、あるキリスト教の団体に応募し、その結果、最初のことばを聞かされたのです。
日本!私は日本について何ひとつ知りませんでした。外国人の友達はたくさんいましたが、日本人の友人はいませんでした。その上、イギリス人の私にとって日本は世界で一番遠い国になります。しかし、聖書を読んだり、神様に祈ったりするうちに、日本に行くことは神様が開いてくださった道であると確信を持てるようになりました。恐る恐るではありましたけれども、神様を信頼しながら、奈良県のある教会で2年間英語を教えました。
最初は自分の文化とまったく違う文化に戸惑い、大変さびしい思いをしました。が、29年間たった今も私はまだ日本に住んでいます!そして日本が大好きなのです!
言語学を勉強した後、私は教師の免許を取り、名古屋の私立高校と中学校、また、大阪と札幌の大学で英語を教えました。
その後、1986年にOMF International (国際福音宣教会)という団体に入り、北海道に来ました。
北海道はすばらしいところです。その雄大な美しい自然は、全能の神様の想像力と愛をいつも思い出させてくれます。私は山登り、ハイキング、写真撮影、野の花の観察などが大好きです。ほかの趣味は読書、音楽、水泳などです。
1990年から現在まで、私は、外国の宣教師が日本語を勉強しているOMF日本語センター(札幌にある小さな学校です)の学習アドバイザーとして働いています。日本語は本当に興味深い言葉で、今でも新しい発見をすることが私のひとつの楽しみです。
しかし、何よりも私のいちばん好きな働きは、聖書を教えることです。そして、日本人の方にイエス・キリストの愛を紹介できることなのです。
あなたも、ぜひその方を知るために教会にいらっしゃいませんか?

派遣宣教師:福永有・貴恵(パプアニューギニア)
あなたは日曜日、教会に行ったことがありますか。教会に入ると「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、これをお持ちください」と言われてあなたに手渡されるものがあります。それは何でしょうか。そう、分厚い聖書です。そしてあなたが会堂の椅子に腰掛けてその重たい聖書をパラパラと開けると、そこには何が書いてありますか。そう、日本語です。あなたの言葉、日本語なのです。このほとんどあたりまえに思える出来事が、実はけっしてあたりまえではないことを知っていますか。
世界には全部でいくつの言葉があるでしょうか。約6,800言語と言われています。では、そのうちで聖書(たとえ聖書の一部分でも)が翻訳されている言語は、どのくらいだと思いますか。現在約2,200言語です。でも、ほんの100年前くらいまではたったの500語くらいでした。どうして特にこの100年の間に聖書が訳された言葉の数がこんなにも増えたのでしょうか。それは、聖書翻訳の働きに尊い使命を確信し、いのちと情熱を注ぎ生涯をささげたたくさんの人々がいたからです。
私たち家族は北栄キリスト教会から、「ウイクリフ聖書翻訳協会」という国際団体を通してパプアニューギニア(PNG)という国に1995年から派遣されています。オーストラリアと赤道にはさまれた、熱帯の美しい南の島です。国土の面積は日本の約1.4倍。人口は450万人。さて、このPNGにはいくつの言葉があると思いますか。ここにはなんと800以上もの異なる言語を話す少数部族の人々が住んでいます。例えばわずか50km向こうまで出かければそこにはちがう言葉を話す人々がいます。このPNGには、私たちの団体を通して現在、世界約20ヶ国以上の教会から約400名のメンバーとその家族が遣わされ、さまざまな奉仕のチームワークにより聖書翻訳および識字(読み書き)教育の働きが進められています。私たち夫婦は中央高地にあるウカルンパというところで、そのチームの一員として宣教師の子女教育のために学校教師として奉仕しています。
私たちの団体はPNGにおいては1956年から働きを始め、すでに約150言語の新約聖書の翻訳が完成し、約190言語の翻訳プロジェクトが今なお進行中です。でもまだ数百の言葉を話す人々が自分の心に響く、自分の言葉で書かれた「神のことば」を待っています。
ひとつの言語の聖書翻訳が完成するまでには新約聖書だけでも早くて15年、長ければ30年以上もかかります。「なぜそんなにまでして、そんな少数部族のために」と思われますか。神様の愛は、99匹の羊を残してでも1匹を捜し求めていく愛です。もし神様が彼らを愛してくださらなかったなら、きっとあなたの手にも日本語の聖書はいまだになかったことでしょう。あなたもまた、この聖書によってまことのいのちをいただき、さらには世界中の人々の手にその「いのちのことば」を届けるという、この働きのパートナーとなりませんか。
私たちの信仰基準

1.(聖書)旧新約六十六巻からなる聖書は、それぞれの著者が神の霊感によって記したものであり、神が救いについて人々に啓示しようとされた一切のことを含み、信仰と生活との唯一絶対の規範である。神による霊感とは、人間によって記述された聖書の起源が神にあるということである。すなわち、聖霊の十全な指導と監督のもとに記されたので、いっさいの誤りより守られた権威ある神のことばであることを意味している。聖書は原典において霊感されたゆえに、客観的な神のことばであり、人間の経験の仕方如何によって神のことばとなるというのではない。
2. (真の神)生ける真の神は唯一であって、父・子・聖霊の三つの等しい位格を持ち、永遠から永遠まで存在される。
3.(創造)神はみことばをもってすべてのものを創造された。すべての被造物は神の主権の下にある。人間は、この生ける神のみを礼拝すべきである。
4.(イエス・キリスト)主イエス・キリストは真の神であり、罪も誤りもない無い真の人であられる。主は聖霊によってみごもった処女マリヤより生まれ、代表者および代償者として人類の罪のために十字架の上に死に、三日目にからだをもってよみがえり、天に昇られた。今、神の右に座し、私たちのために大祭司の務めをしておられる。また、体をもって再臨される。
5.(聖霊)聖霊は人に罪を認めさせ、新たに生まれさせて神の子とし、キリストを頭とする体の各部分とされる。さらに信じる者の内に住み、キリスト者としての生活と奉仕のために力を与え、あがなわれた者のうちにキリストのかたちを形成される。
6.(人間の堕落と罪)人類の父祖アダムは、神のかたちにかたどって創造され、はじめ神と正しい関係にあったが、サタンの誘惑により、神の御意にそむいて罪を犯し、死とさばきに服せしめられた。全人類はこのアダムの罪のために生まれながらに罪あるものである。
7.(救い)主イエス・キリストの身代わりの死のゆえに、ただ神の恵みにより信じるものはみな、その信仰によって義と認められ、罪咎をゆるされ、その支配から解放される。人が救われるのは、神の恵みにより、ただキリストを信じる信仰によるのであって、その他に救われる道はない。
8.(普遍的教会)普遍的教会は、キリストの体であって、生者と死者を含むすべての真のキリスト者より成り、そのかしらはキリストご自身である。
9.(地域教会)それぞれの時代及び地域において形成される個々の教会は、信仰を告白しバプテスマを受けた者たちの群れであって、共に神を礼拝し、主の聖餐にあずかり、互いに信者の交わりをなすものであり、主が、その祈りのうちに、世がご自身を信じるようになるために、みなのものがひとつとなるようにと祈られたことを覚え、福音のあかしと宣教に励むものである。
10.(審判)すべての死んだ者は、からだをもってよみがえり、イエス・キリストを信じるものは、すべて義なる者として永遠の祝福に入れられ、イエス・キリストを信じない者は、すべて不義なる者として永遠の刑罰を受け、神から引き離される。終わりに、主はすべてのものを新たにし、御国を父なる神にわたされる。
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